ユーザベースが手がけるさまざまなサービスの背後には、これらを支えるプロフェッショナルたちの存在があります。そんな彼、彼女たちはどのような思いでユーザベースに加わり、日々の業務にあたっているのでしょうか。このシリーズではユーザベースのコーポレートITと情報セキュリティ組織で働くエンジニアや、プロダクト開発に携わるエンジニアに焦点を当て、外からは窺い知れない仕事の舞台裏をご紹介します。今回登場するのは、自衛隊員や介護職などを経て、ITエンジニアに転じ、現在はユーザベースで社内システム開発に携わる石田大輝です。
Corporate Engineering Division
IT Development Team
Software Engineer
石田 大揮
2007年、高校を卒業し海上自衛隊に入隊。佐世保基地所属の護衛艦に乗船し、潜水艦の敵索任務などに従事する。2009年、介護業界に転身し介護福祉士、ケアマネージャー資格を取得。ふたつの介護事業所で老人介護にあたる。32歳でITエンジニアに転じ、長崎県内の事業会社で受託開発に従事。2024年、アルファドライブ(現・ユーザベース)に転職し、2024年、アルファドライブのカーブアウトによりユーザベースに転籍となり、現在はCorporate Engineering Division IT Development Teamの一員として、社内システムの開発と改善にあたっている。
# 私が貫く仕事の流儀
課題の裏側にある見えざる本質を見抜き、最適な手段によって解決に導けるのが真のプロ。いわれたことだけを粛々とこなすだけのエンジニアではなく、誰が担当すべきか決まっていない課題を自ら見つけ、率先して拾いにいくようなエンジニアでありたい。
海上自衛隊、介護業界を経て辿り着いた「天職」
—— エンジニアになる前は自衛官や介護職を経験されていたそうですね。
はい。2年間、護衛艦の乗組員としてソーナーという水中の音を聞く機器で探知をし、水中の音を聞いて、潜水艦を探知する索敵任務に就いていました。退官後、介護業界に入り、12年にわたって介護福祉士やケアマネージャーを務め、その後、地元長崎の事業会社でITエンジニアになりました。
—— いろいろ変遷があったんですね。詳しく聞かせてください。
高校卒業後、地元で働きたくて自衛隊に入隊したのですが、入隊から2年ほど経ったタイミングで、長崎の佐世保基地から遠く離れた京都の舞鶴基地への異動が打診され、聞けば地元に戻ってこられるのは早くても10年後とのことだったので退官する道を選びました。介護業界に入ったのは、長崎でも比較的求人数が多い仕事だったからです。
—— 業界も職種も全然違う世界です。介護業界での仕事はいかがでした?
もともと人助けが好きだったので、介護職は割と向いていたと思います。介護職から介護福祉士になり、5年ほど現場経験を積んだあと、ケアマネージャーの資格を取得しました。仕事内容は好きでしたし、将来介護施設の施設長になるという目標もできて張り切っていたのですが、あるときかなり年上の先輩の給与額を知る機会があり「この業界で働き続けるのはちょっと難しいかもな」と思ったんです。当時は結婚間もなく、長男が病弱だったため共働きが難しい状況だったので、まずは、少しでも自分の収入を上げようと独学でプログラミングを学びはじめることにしました。
—— それがITエンジニアになるきっかけだったんですね。
はい。将来性を感じてプログラミングを学びはじめたのですが、すぐにITエンジニアとして稼げるほど甘い世界ではないのは分かっていました。ですから、独学をはじめた当時は「ゆくゆくは副業で少し稼げればいいかな」くらいの感覚でしたね。
—— 介護職は多忙なイメージがあります。学習時間を捻出するだけでも大変だったのでは?
そうですね。勉強するのは起床して仕事に出かけるまでの早朝と、帰宅して子どもを寝かしつけたあとの深夜に限られます。平日は5時間、休日は8時間勉強に費やすような生活を2年間続け、なんとか基礎的な技術を身につけました。元々数学が得意だったせいか、プログラミングが性に合っていたのかもしれません。
—— それで就職されたわけですか?
当初は副業のつもりではじめたものの、だんだんプログラミング自体が好きになって「これを本業にすれば四六時中プログラミングに没頭できるな」と思いはじめました。それで地元には数少ないITエンジニアを募集していた事業会社に応募したところ、運良くプログラマーとして採用されることになったんです。
—— プログラミングを本業にしてみていかがでした?
私を受け入れてくれたのは、自治体からふるさと納税事業を受託し運営しているベンチャーで、入社当時、社員は数十人、エンジニアはふたりだけという小さな組織でした。ここで、ふるさと納税にまつわる申し込み用サイトの構築や在庫管理システムの開発、商品登録用システムのリプレイスなどに携わり、サービス開発に必要なフロントエンド、サーバサイド、インフラまわりのスキルを身につけました。実務経験がほとんどない状態から、約2年間でプロジェクトのリーダーを任せていただけたのは、同僚や職場環境に恵まれていたからだと思います。
—— その後、当時ユーザベースの子会社だったアルファドライブに転職されましたね。
はい。人間関係や仕事自体に不満はなかったのですが、開発経験を積んだり、知人やメディアを通じて新しい技術情報に触れたりするうち、世の中で主流になりつつある開発スタイルと、自分たちの開発スタイルにはかなりギャップがあることが分かってきました。技術や開発メソッドはどんどん進化しているのに、この流れについていけていないのはエンジニアとしてやはり不安です。32歳でこの業界に入って2年が経ち、もう34歳。転職できる最後のチャンスかもしれないと思い、次にいくべき会社を探しはじめました。
—— どんな転職先を探していたんですか?
とにかくエンジニアとしてのスキルレベルを上げたかったので、自社サービスを内製していて、技術力の高さに定評がある会社を探していました。また、技術を磨くだけでなく、作ったものがユーザーにどのように価値を届けられるか、そのプロセス全体に関われる自社開発を探していました。とにかくエンジニアとしてのスキルレベルを上げたかったので、自社サービスを内製していて、技術力の高さに定評がある会社を探していました。幸い、当時はコロナ禍の影響もあってフルリモート勤務が可能な求人はたくさんありましたが、いきたいと思える会社は限られており、転職するまでに半年以上かかったと思います。就活中は5社ほど選考を受け、最終的に2社から内定をいただけました。そのうちの1社が2024年にユーザベースグループからカーブアウトすることになる株式会社アルファドライブ(以下、アルファドライブ)だったんです。
技術力のさらなる向上を目指しユーザベースグループへ
—— なぜアルファドライブを選んだのでしょう? 決め手は?
当時のCTOから、技術力が高いエンジニアがたくさんいるのはもちろん、社内では頻繁に勉強会が開かれており、新しい技術に果敢に挑戦するエンジニアカルチャーがあると聞いたのが大きかったですね。実務経験が浅いことを踏まえた上でポテンシャルを評価していただけましたし、フルリモート勤務という条件ものんでいただけました。私自身、介護職時代からNewsPicksの有料会員だったので、サービスにも愛着があります。これ以上自分が求める理想的な職場はないと思い決めました。
—— アルファドライブではどんな仕事を?
2023年6月の入社以降は、たとえば現在のNewsPicks法人プランの前身にあたる「NewsPicks for Business」で運営していたサービス「JobPicks」の機能追加や、NewsPicksの法人向けWebページのリニューアル等に関わっていました、主にバックエンドシステムの開発に携わりました。2024年4月、アルファドライブがユーザベースグループから独立するのを機に、当時アルファドライブに所属していたおよそ20名のエンジニアとともにユーザベースへ転籍になり、それ以降は、ユーザベースの社内システムを内製化する目的で設立された「 Corporate Division IT Development Team 」所属のソフトウェアエンジニアとして働いています。
—— ユーザベースに転籍されてからはどんなお仕事をされていますか?
社員であれば必ず受講すべき研修を履修していないメンバーに対して、研修への参加を促すSlackBotの制作や、人事評価システムの開発などに取り組みました。いまはユーザベース内のあらゆる情報ソースから適切な回答を導き出す AI エージェントの開発に携わっています。
—— Teamの雰囲気を教えてください。
私たちのTeamではスクラム開発を採用しており、1週間ごとに目標を決めて開発にあたります。作業はある程度メンバーで分担しますが、自分の担当以外の部分で開発に遅れが出たり、想定外の課題に直面したりした場合は、Team全体でサポートする文化が浸透しています。私は長崎からのフルリモート勤務ですが、テキストや動画、音声でのコミュニケーションは頻繁ですし、メンバーとのやりとりで心理的な壁を感じたことはありません。頼み事も頼まれ事も気軽にできるTeamです。
—— これまで石田さんは、さまざまなお立場やお仕事を経験されてこられました。いまユーザベースのコーポレート部門を支えるエンジニアとして何を大切にされていますか?
生成AIの発達により、数年前とは比較にならないくらい少ない手数でプログラムが組めるようになりました。その分「どうやってつくるか」よりも、もう少し上流の「なぜ必要なのか」「何をつくるべきか」に意識が向くようになった気がします。いま私が所属している IT Development Team は4人だけのとても小さな組織です。要望通りつくってみたのはいいけれど、見通しが甘かったせいで使われなくなってしまう機能を開発するのは本意ではありません。時間とコストを有効に使うためにも、私たちはユーザーとのディスカッションを大切にしながら説明責任を果たし、開発に臨んでいます。
—— ユーザベースでの仕事がエンジニアとしての視座を上げたのかもしれませんね。
入社するまでは、とにかく新しい技術、面白い技術に携わりたい一心でしたが、いまの組織にきてからは、プロダクトの開発方針やプロジェクトの進め方、異なる立場にあるステークホルダーとのコミュニケーションの大切さを強く意識するようになりました。ただ過去を振り返ると、ユーザベースに入る前から利害関係を調整したり、課題を言語化したりするのは比較的得意なほうだったので、改めて周囲のみなさんにこうした面を評価されると、自分の強みにマッチした仕事に就けたんだなと感じますね。
人事評価システムの構築で知った開発内製の醍醐味
—— 入社されてから最も印象深かった仕事について教えていただけますか?
人事評価システム『winwin』の開発です。元々ユーザベースでは外部の人事評価サービスを利用していたのですが、コストや開発の柔軟性を考えると内製化のメリットが多いという判断で開発がはじまり、私も開発メンバーとして参加することになったんです。
—— このプロジェクトではどんな点に苦労されましたか?
約半年後の1月には外部サービスの契約が切れてしまうので、それまでにテストを終える必要がありました。また、ユーザベースの全社員がかかわるシステムなので、使いやすさと信頼性の確保は不可欠です。部署ごとに思いを持って組織運営しているので、みなさんの意見を取りまとめシステムに落とし込む難しさもありました。さまざまなプレッシャーがありながら、なんとか期日までにリリースできたのは、メンバーや関係者の協力があったおかげです。
—— 石田さんにとって社内システムの開発に携わる面白さはどこにあると思いますか?
リリースを終えたあとも引き続きユーザーの声を聞きながら改善に携われるのは、社内システムならではの醍醐味です。実は今年の7月から開発リーダーを任せていただくことになり、見るべきポイントや考えるべきポイントが変わった分だけ、以前よりも仕事へのやりがいが増した気がします。
—— 成果が認められてポジションも上がったんですね。異業種転職を経てSoftware Engineerになった石田さんにとって「プロ」とはどんな存在でしょう?
課題の裏側にある見えざる本質を見抜き、最適な手段によって解決に導けるのが真のプロだと思います。とくにユーザベースでは、いわれたことだけを粛々とこなすだけのエンジニアよりも、誰が担当すべきか決まっていない課題を自ら見つけ、率先して拾いにいくようなエンジニアが評価される会社です。常々私もそうありたいと思っているので、日々意識しながら開発に取り組んでいます。
—— これからどんな働き方を目指しますか?
私にはエンジニアとしての経験不足を承知の上で採用していただいた恩があります。家庭の事情を汲んでいただきフルリモート勤務を認めてもらっているわけですから、仕事を通じて結果を残すのは最低限の恩返しです。システム開発の品質にこだわるのはもちろん、Teamへの貢献、事業への貢献を意識した働き方がしたいと思っています。もしまわりのみなさんにいい影響をもたらせるのであれば、貢献の方法はさまざまな形があると思っています。もちろん、技術に興味があって入った業界なので、これからも技術力は上げていきたいですし、エンジニアとして技術で貢献することは大切にしたい。一方、完全に技術力だけでの貢献に限らず、いろんな形で価値を提供していけたらと思っています。
—— 最後に石田さんはどんな人と働きたいですか?
チームごとに求める人物像は違うと思いますが、私が所属する IT Development Team は社内システムを開発するための組織なので、身近な人の仕事を楽にしたり、便利にしたりすることに喜びを感じられる人であってほしいですね。そして、その課題を技術の力で解決したいという想いや、いろんな技術に興味があってそれを活かしたいという熱意を持っている人がいいと思っています。ホスピタリティやチームワークを大切にする人も大事ですね。であれば、きっと楽しみながら活躍できると思います。