はじめに
ソーシャル経済メディア「NewsPicks」(Media Experience Unit)でエンジニアをしております小林です!
2024年11月 アメリカ サンフランシスコで開催された QCon San Francisco 2024 に参加してきました。
本記事では1日目の Keynote Speaker である Khawaja Shams (カワジャ シャムス)氏による 「Dare Mighty Things: What NASA's Bold Endeavors Teach Us About the Power of Calculated RISCs」(日本語訳「大胆な挑戦:NASAの挑戦から学ぶ、計算されたRISCsの力」)を紹介します!
このセッションでは、彼がNASA時代に携わった火星探査プロジェクトの経験や、過去のBig Tech企業の失敗の歴史を振り返りながら、大胆な挑戦をする際に重要となる「計算されたリスク」の取り方について語られています。
個人や組織の意思決定のプロセスで、どのようにリスクを許容して意思決定を行うかの判断は難しいですよね。多くの場合はリスクの事を考えすぎて、行動に移すことができない状態になっていることが多いのではないでしょうか。その点、彼が働いていた NASA は、アメリカの挑戦の歴史を象徴する組織であり、学びの宝庫です。
彼が関わった火星探査機「Curiosity(キュリオシティ)」のプロジェクトでは、地球から約2億2500万キロメートル離れた全く地球と異なる環境下で、数々のリスクに直面しました。限られた情報と時間の中で最善の決断を下し、失敗の可能性を受け入れながら果敢に挑んだ挑戦の数々は、多くの人々に大胆な挑戦をするための貴重なヒントを与えてくれます。
※ 原題の「RISCs」は、「リスク(Risks)」と、宇宙空間でも使われる効率性重視のプロセッサ設計「Reduced Instruction Set Computing(RISC)」を掛け合わせた表現です。
スピーカー紹介
Memento CEO: Khawaja Shams (カワジャ シャムス)氏
NASA JPLで火星探査に用いられる画像処理パイプラインの構築に従事。その後、AWSに移り、DynamoDBに携わる。現在は、自身の会社であるMementoを経営。
「計算されたリスク」とは何か?
計算されたリスク(Calculated Risk) とは、十分に分析し、リスクの影響や成功の可能性を見極めたうえで意図的に取るリスクを指します。これは、行き当たりばったりの賭けとは異なり、成功の可能性を最大化し、失敗の影響を最小限に抑える計画的な意思決定のことです。
リスクを取る前に価値を見極める
まずリスクを取る前に、そのリスクが取る価値のあるものか、そして自分たちが情熱を持てるものかを慎重に確認することが非常に重要です。なぜなら、リスクを取って形にするまでには何年もかかることがあり、その過程で数多くの困難に直面するからです。そのため、大胆な行動を起こす際は、そのリスクに情熱を持てるか、そしてそれがもたらすメリットを正しく理解しているかをしっかりと確認する必要がある。
「計算されたリスク」を取るためのフレームワーク
リスクを避ける主な原因として「恐怖心」を挙げ、このセッションを通じて、恐怖を克服しながら「計算されたリスク」を取るために意識すべきフレームワークについて語っています。
- Think Bigger!(既存の枠組みにとらわれず、より大きな可能性を追求する)
- De-risk(リスクを分散・軽減する)
- Be Wrong, a Lot(行動しながら学ぶ)
1. Think Bigger!
まず行動を起こすことが重要、無行動こそ最大のリスク
「すべてが完璧になるまで待つ」という姿勢は現実的ではありません。特にソフトウェア開発においては、常に新たなバグが発生するため、完全を目指していてはプロジェクトが進まなくなります。火星探査の例では、打ち上げウィンドウ(惑星の軌道の関係で探査機を送れる限られた期間)が設定されており、このタイミングを逃すと次のチャンスは2年後になります。限られた時間の中で行動を起こす決断が必要でした。
そのため、火星探査機「Curiosity(キュリオシティ)」プロジェクトでは、計算されたリスクとして、「探査機の飛行ソフトウェアと走行ソフトウェアが打ち上げ時点で未完成」という状況を受け入れるという判断が下されました。火星に到着するまでの9か月間の猶予を活用し、その間にソフトウェアの作成やバグ修正を行い、パッケージをアップロードして探査機の安全な動作を確保する計画を実行しました。この決断は、時間制約の中で最大限の成果を引き出すための合理的なリスクテイクの一例です。
リスクを取る際は「何がうまくいくか」に焦点を当て、それを最大化する方法を考える
リスクを取る際には、失敗を恐れるのではなく、成功の可能性に目を向け、「どうそれを拡大できるか」「どう最大限の成果を得るか」を考えることが重要です。もしこれに明確に答えられない場合、そのリスクを取る事を考え直す必要があるかもしれません。
スピーカーが元エンジニアとして起業家の道を歩み始めた際、エンジニアとしての視点では、ピッチを聞いたときに問題点やリスクばかりを考えていました。しかし、経験豊富な投資家たちは、事業計画の99個の問題ではなく、たった1つの成功の可能性に注目し、それをどう拡大できるかを重視していたことに気づき、この視点がリスクを取る際の重要なマインドセットであると学んだそうです。
2. De-risk
リスクの影響を軽減する手法を取り入れる
双方向のドア(Two-Way Door)のアプローチ
双方向のドアとは、試してみて失敗しても容易に修正または撤回できる意思決定。これに対し、一方通行のドア(One-Way Door)は、決定を変更することが困難で、失敗すると大きなコストやリスクが伴う意思決定
大企業が抱える課題とリーダーの役割
大企業が成長するにつれ、双方向のドア(修正可能な意思決定)のような比較的簡単な決定に対しても、一方通行のドア(修正困難な意思決定)と同じだけの時間や労力を費やす傾向があります。その結果、本来慎重に検討すべき一方通行ドアの決定に十分な時間が割けず、双方向ドアの決定に過剰な議論が費やされるという非効率が生じます。
こうした課題に対応するため、シニアリーダーの役割は、可能な限り一方通行のドアの意思決定を双方向のドアに変えることです。これにより、リスクを軽減し、失敗の影響範囲を最小限に抑えることができます。
「Ingenuity(インジェニュイティ)」の事例
火星探査機「Perseverance(パーサヴィアランス)」に搭載されたプロセッサ「RAD750」は、1990年代のMac用チップを基に、耐放射線設計を施し宇宙環境に対応したものです。しかし、処理速度は一般的な携帯電話より遅く、ソフトウェア設計には10倍の労力が必要とされました。
そこで、新しいチッププラットフォームとして、Android携帯にも採用されていた「Snapdragon 801」を活用する構想がありました。ただし、直接「Perseverance」に採用することはせず、リスクを分散するために火星探査ヘリコプター「Ingenuity」に新チップを採用しました。このアプローチにより、損失の影響を最小限に抑えつつ、利益を最大化することを目指しました。
「Ingenuity」は、まず控えめな目標(「飛行可能かを確認する」)を設定することで、大規模なリスクを回避しながら、新しい技術の実験プラットフォームとして設計されました。この新チップにより、Linuxの実行が可能となり、TensorFlowやPyTorchを利用した高度なリアルタイム制御を実現。結果として、大きな投資やリスクを伴わずに技術革新を進めることができました。
Appleの事例
M1プロセッサの導入
2020年、AppleはM1プロセッサを搭載したMacBook Air、MacBook Pro、Mac Miniを発売しました。同時にIntel版の製品も継続販売することで、顧客や開発者が新しいプロセッサに移行する際の負担を軽減しつつ、段階的に新技術を導入する戦略を取りました。
スマートフォンへの独自チップ導入
2010年のiPhone 4で、Appleは初めて独自開発したチップを採用しました(それ以前はSamsung製チップを使用)。この取り組みは、iPadやMacBookにも同じプラットフォームを展開することで技術革新を効率的に進める基盤となり、Appleのデバイス間での一貫性とパフォーマンスの向上につながりました。
冗長性を活用する
火星探査ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」の設計では、放射線による障害が懸念されていましたが、2つのプロセッサが互いの動作を監視する仕組みを採用し、障害発生時にも99.99%の可用性を確保しました。
3. Be Wrong, a Lot
「Ready, Fire, Aim」の精神
完璧を追い求めるのではなく、迅速に行動を起こしながら柔軟に修正していく姿勢が重要です。優柔不断で行動をためらうことは、リスクを取る以上に悪い結果を招く可能性があります。
失敗を受け入れ、学びを得る
失敗を学びの機会と捉え、試行錯誤を重ねることが重要です。NASA、Apple、Amazonなどの企業も、段階的な試行錯誤を通じて革新を実現してきました。その例として以下の事例があります:
Amazon Fire Phone
発売当初から批判が多く、商業的には大失敗。しかし、この経験からAmazonは技術や製品戦略を改善し、現在の成功につなげています。
Apple Power Mac G4 Cube
スタイリッシュで先進的なデザインが評価される一方、実用性や価格面で批判を受け、販売は振るいませんでした。この経験を活かして、Appleは製品戦略を見直し、後の成功へとつなげました。
まとめ
リスクを取る前に価値を見極める
リスクが本当に取る価値のあるものかを見極めることが大切。そのリスクに熱意を持てるか、得られるメリットを正確に理解しているかを確認し、曖昧であればリスクを取らない。まずは行動し、より大きな可能性を追求する
考えすぎず、まずは行動してみることが重要。行動しながら修正を重ねる姿勢を持つ。また、失敗を避けることよりも、どう成功させ、その成功を大きく出来るかに焦点を当てるべき。リスクの軽減と柔軟性を考慮する
一度決めたら戻せないようなリスクではなく、変更可能なリスクの取り方を模索する。いきなり全てを変えるのではなく、段階的に進め、問題があれば戻せる仕組みを整える。課題に対して解決策を正しく見極める
解決したい課題に対して、その解決方法が適切であるかを慎重に確認する。失敗を受け入れ、学びに変える
失敗は避けられないもの。むしろ失敗の中にこそ学びがあり、失敗は発明の双子だと考え、何度でも挑戦する姿勢を持つ。
感想
NASAがこれまで成し遂げてきた宇宙開発の偉大さに、改めて感銘を受けました。この後にご紹介する火星探査機の着陸映像には、臨場感あふれる瞬間が詰まっており、その壮大な挑戦に心が震えます。どれだけ事前にリスクを最小限に軽減しても、地球上では火星の環境を完全に再現することはできません。そのため、最後はまさに一か八かの大勝負となります。それでも、失敗すれば何千億円もの損失が出るリスクを抱えながら、成功した場合の未来への可能性に賭けるNASAの姿勢には感動を覚えます。
この挑戦の姿勢から学べるのは、未来は現状維持ではなく、挑戦からしか生まれないということです。これは、個人のキャリアでも、組織のプロダクト開発でも同じだと感じました。何か大きな挑戦をする機会が訪れたとき、今回ご紹介したフレームワークを思い出し、リスクを単なる博打ではなく、計算されたリスクとして捉え、前向きに大胆な一歩を踏み出していきましょう!
参考:火星探査機「Curiosity(キュリオシティ)」
- 2012年に火星に着陸したNASAの探査ローバー「Curiosity(キュリオシティ)」
- ミニクーパーほどの大きさを持つ探査車で、火星で科学探査を実施
- 地球から火星まで約2億2,500万キロメートル
- 通信には数分から20分以上の遅延が発生するためリアルタイム操作が不可
Curiosity 着陸時の内容をまとめた動画 (出典:Curiosity has Landed)
着陸までのプロセス(出典: Timeline of Major Mission Events During Curiosity’s Landing)
- 大気圏突入と減速
- 大気圏突入時の摩擦により、初期の高速を減速
- ヒートシールドで1,500度以上の高温からローバーを保護しながら、速度をさらに大幅に低下
- パラシュート展開
- 火星の大気が地球の約1/100と非常に薄いため、特別設計された超音速パラシュートを使用して追加の減速
- ロケットエンジンによる制御降下
- パラシュートだけでは十分な減速が難しいため、降下ステージ(スカイクレーン)に搭載された小型ロケットエンジンを噴射し、着陸速度を細かく調整
- スカイクレーン方式での着地
- 降下ステージからローバーをケーブルで吊り下げ、火星の地表に設置する
- 着地後、降下ステージは安全な距離まで退避する